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テルミア英雄伝・宵の刃



 『宵の刃』の異名をもつミランダ・ソーシエルが史実に初めて姿を現したのは、借用書の中である。当時の彼女はまだ剣を握ったことのない、辺境に住む無名の少女であった。
 ソーシエル家はロード教国の貴族であったが、ミランダが物心ついた頃には没落しかけていた。少女ミランダは友人にあてた手紙で回想をしている。「母に棚の食器を磨くように言いつけられました。次の週には大好きだった食器たちはすべて商人に売られてしまった。その日が私が貴族であった最後の日です」
 正確には、ソーシエル家の没落はずっと後になる。当主は物や土地を細々と売りつなぎ、貴族としての暮らしを維持した。売り捨てたものの中にミランダもいた、と意地の悪い歴史家は言う。この言い方はある一方では正しい。当主であったミランダの父パウルは、借金を義兄に肩代わりしてもらう代わりに、ミランダを彼の家へと住まわせたのだ。
 この義兄はダルカスといい、公爵位を持つ身分であったから、没落貴族の借金を肩代わりすることは容易かっただろう。ダルカス公爵がミランダを欲したのは、妻ための護衛を欲してのことだった。男の入れない場所へも付き添えるよう女性であること、出自に信用のおける親族であること、乗馬ができ健康であること、そして貴族としての立ち振舞を知ることが彼の探していた人物の条件だった。無論、これらの条件をミランダは満たしていたが、戦士としての素養はかけらもなかった。であるから、都会へとやってきたミランダを待っていたのは絢爛豪華な貴族の暮らしというよりも、戦士としての訓練の日々であったのだ。
 年端もいかない少女にとって、訓練の日々は過酷であったに違いない。事実、当時のミランダは記録に残っているだけで三度大きな怪我を負っている。一度など、ダルカス公爵が「酔狂で少女を傷めつけた狂人」と政敵の一人に訴えられ、法廷に召集されるということもあった。
 しかしミランダは剣奴のように扱われていわけでは決して無い。付添人兼護衛としての教育の一環だったと考えられるが、食事は公爵の一家と共にとり、家庭教師から教育をうけ、社交界では公爵の姪として紹介された。作法や教養を身につけるに加え馬術や剣術などの訓練もこなさなければならない。厳しい生活であったことは確かで、ミランダはダルカスを恐れ、憎んでいた節はある。だが注文さえこなせば、ダルカス公爵は当時の標準以上の生活をミランダに与えた。彼女の父パウルもこれらの待遇を考えて、家に残して貧しい暮らしをさせるならばと、ミランダを義兄に譲ったのだろう。健康的で快活な彼女は社交界でも人の目を引き、貴族から求婚をされたことも一度や二度ではない。しかしダルカスとパウルの間の取り決めには、ミランダに結婚の自由を認めない、という項目があった。前に書いた起訴事件はミランダとの結婚をダルカスに一蹴された貴族の逆恨みだ、という説に一定の支持があるがあながち間違いではないのかも知れない。
 ミランダが十七歳になる頃、ロード教国はリオニア国に敗北し、地図から姿を消すことになる。ミランダが護衛として公爵の望む働きを全うできたどうかは、歴史から読み解くことはできない。当時のロード教国周辺は動乱の渦中にあり、参考にすべき資料がほとんど残されていないのだ。かろうじてダルカス公爵の消息を追うことはできる。彼は千の兵をまとめる団長として三回戦場に立った。戦上手として知られ、リオニアの将軍ニコラス・ガーランドは「盤上で戦争をする者は多くいれど、戦場でチェスを打つ者はあやつしか知らん」とダルカスを評価した。ダルカス公爵は361年に捕虜と成り、翌年の終戦を待って処刑される。その身辺に彼の家族やミランダがいたという記録は残されていない。

 ミランダが再び歴史に現れるのは、ダルカス処刑から五年後。どういう経緯かミランダは傭兵としてリオニア国軍に雇われ、エスラディア国からアシトーバ渓谷を奪還する戦いに参加している。リオニア国軍は七百人程度の兵力を投入し、その中でミランダは五十人を率いる隊長に任命された。察するに、以前の戦いでも無名の兵士として功績を積み、実力を認められていたのだろう。この戦いの初期はリオニア国軍の優勢であったが、エスラディアの援軍が到着すると戦局は一転し、ミランダたちは敗走を余儀なくされる。この時にミランダの率いる隊は、敵に沼地へ誘い込まれた味方隊を窮地から救った。この味方隊にいたのが、リオニア国の王弟ダヴェンである。もしも彼女が傭兵でなく正規兵であったならば、相応の待遇が与えられた程の働きだ。これを契機にして、彼女が王族の危機に居合わせることが続いた。
 同年に王の側室レスタが、出産のためにウェトシー国に帰郷することになった。ミランダは王弟の紹介でレスタの護衛団に加わる。二国の国境でリオニア軍からウェトシー軍の兵士へと護衛の役が渡されたが、ミランダは従者の一人としてレスタとともにウェトシーへと入った。
 旅の途中に一行は何者かに襲われる。襲撃者の正体については諸説あり、当時にそのあたりを根城にしていた大盗賊団の仕業だという者や。王子が生まれることを危惧した王族の陰謀、王妃を攫おうと企む敵対国の襲撃など、様々に言われる。事の真相はともかく、ミランダはこの時にも戦功を讃えられ、リオニア国に戻ったときに「王女の命を身を呈して守り、また危機を防いだ」という賞状を承っている。
 レスタはウェトシー国で女児を産んだ。リオニアの第七王女チャイである。王族の出産は国政に関わる重要な出来事であるために、通例は国内で行われる。レタスが何故、出産のために故郷へと帰ったのかは歴史上の謎の一つだ。出産後、レタス一行は二年間、ウェトシー国に滞在した。この長期滞在の理由は分っている。出産後に、レスタが病に罹ったのだ。ミランダは往復の護衛を依頼されていたために、この二年間はウェトシー国で過ごすが、その間に彼女は国内の貴族の私兵とし働いた。もともと貴族としての流儀を身につけていた彼女は、歓迎されたのだろう。治安維持や密猟の取り締まりをするほか、舞踏会の警備などにも重宝された。その他、村を襲う魔物の駆除などにも駆りだされている。ミランダ・ソーシエルは堅実な指揮官としての一面と、優秀な斥候としての一面をもつ風変わりな人物である。前者の能力はダルカス公爵のもとで学ばされ、後者はロード滅亡後の隠遁時代と、ウェトシーで捜査や警備をし身につけた能力だろう。私兵となってから一年後に、ミランダは治安維持隊の部隊長をまかされる。外国人傭兵がこの短い期間に部隊長へとなるのは異例の昇格だ。彼女の非凡さが伺える。
 当時、ウェトシーには『バルバロス』と呼ばれる犯罪組織があった。バルバロスは邪神の復活を望み、魔力を持った若者を拉致していた。ミランダ率いる治安維持隊を始め、貴族の私兵を中心とした撲滅団によってバルバロスは壊滅する。このときミランダらに救われた若者の中には、この後、魔術史上で重要な役割を生やす人物が数多くいた。質量魔術の開祖クレン・オキソトール、竜殺しの聖女カレリナ・イーナスを筆頭に、空間定量法を考案したヨード・チキンラッシュ、王宮魔術監視局の設立者ドロウ・キックス、魔界召喚術師トレイ・ギン、実りの森の魔女クィタスタ・ヤクシジ、そして忘れてはいけないのが暴れ雲ソリティア・コモドアートだ。この時代は庶民向けの魔術養成機関は少なかった。もしも彼らがバルバロスに誘拐されなければ、魔力を持つことに一生気がつかずに才能を埋もれさせていた可能性は高い。先に上げた若者たちの中には、拉致させる際に家族を殺された者も少なからずいた。ウェトシー国は帰る場所のない者に宿と職場と、魔術の訓練の場を与えた。多くはこの待遇を受け入れたが、ソリティアを含む数人はミランダと共にリオニアへと向かい傭兵となっている。
 さて、当時から金属に雷を当てると腐食することは知られてた。しかし魔術などの人工の雷ではその腐食の具合は遅く、実戦で敵兵のもつ鉄器を無効化することは不可能だとさていたようだ。ソリティアは幼少から雷の魔術の才能があったようだが、それを評価されたことは少なかっただろう。雷の魔術は行使に体力と魔力を必要とし連発ができない。また生半可な電圧では、雷撃は地面へと向かうために射程距離も短い。このように雷の魔術は実用性に劣り、戦場では他の魔術ほど重宝はされていなかった。日常では、貴重な金属を腐食させてしまうこともあって、忌み嫌われることが多かった。
 傭兵となり、戦術を学んだソリティアはそこから頭角を現し始める。彼は召喚魔術を学び、雲を召喚するという方法を編み出したのだ。戦場に赴く事前に、召喚可能な範囲から気象学的に雷雲になりうる雲の当てをつけておく。雷の魔術の行使の際には、この雲を召喚し、自分の雷撃の呪文による刺激で雲から稲妻を発生させる。理論としては知られていたが、それまでにこの方法を実践した魔術師の記録はない。ソリティアはある種の開発者であった。この方法では射程距離の問題は残されるが、従来に比べて消耗の度合いが軽減された。崖や城壁を登ってくる敵を上から撃退する際に有効な手段として知られるようになり、雷撃をつかう魔術師の地位向上につながる。
 ミランダは才女として知られるが、戦以外にもその才覚を発揮した。彼女が二十五歳の時、リオニア国第三王子のリチャルド率いる一団と共にリュトリザ連盟領土へと入る。占い師ユメミリアがリオニアは大規模な飢饉を予言した事を受け、リュトリザの商人から食料を買い付けるのがこの旅の目的だった。しかし、王子リチャルドは商人の機嫌を損ねてしまい、商談はあわやご破算となりかける。これを取り持ったのがミランダだった。彼女は商人のことを調べ贔屓の踊り子がいることを知ると、食事の席を用意した。この踊り子をだしにして、商人を見事食事へと招くことに彼女は成功したのだ。この時に彼女が徹底的に気を使ったのは、王子リチャルドの面子であったという。具体的な下準備を指示し実行したのはミランダであったが、商談はリチャルドに任せ、彼女自身は踊り子と一緒に踊るなどむしろ道化を演じた。この働きのおかげで船二十八隻分の食料を買い付けることに成功した。ミランダは個人的にも買い物をしている。おそらく彼女の所属する傭兵団からの支持で、リュトリザ原産の黒曜石を購入しているのだ。これは、もうこの頃から雷撃と石器を組合せた戦術を彼女または傭兵団が思慮に入れていたことを示す。実際にこの戦術が使われるのはずっと後になることから、当時はまだ実験の域を出ていなかったのではないかと推測される。
 様々な縁から、ミランダはリオニア王家と個人的な親交をもつようになる。特に、リオニア国第七王女チャイは母の命を救われたこともあり、ミランダを姉のように慕った。十五歳になった王女が騎士として、リオニア北部に位置するワーレン砦へと派遣されることとなった。ワーレン砦はエスラディア国との国境上にあり、しばし小競り合いが起こる最前線だ。エスラディアに向けて二重に城塞がつくられ、堅牢な砦としても知られる。戦で指揮が実際どうあるかを学ぶには最適の場所である。王族である彼女の安全を補強するために追加戦力の騎士と傭兵団が派遣され、そのなかにミランダとソリティアもいた。王女チャイのワーレン砦就任の情報は、砦に入り込んだ密偵によりエラスディア側へもたらされていた。エラスディア側の砦の指揮官カクレガス・ルーイ・ゴードンは、多少の無理をしてでも王女を捉えることを企む。特殊召喚魔術が行使され、異世界から強力な兵器を呼ぶことにカクレガスらは成功した。この兵器の前には、歩兵や騎兵、城塞さえも無力であった。カクレガスはワーレン砦の退却路に伏兵を配置し、正面からは呼び出した兵器で攻撃を仕掛ける。リオニア軍が撤退したところを奇襲して、王女を捉える作戦だった。しかしワーレン砦は伏兵を察知する。砦の軍隊を安全に撤退するためには伏兵を壊滅させなければならないが、そのために非常識な手が打たれた。王女チャイを含む数人だけで砦を発ち、伏兵部隊にあえて捉えられたのだ。王女を危険に晒すこの作戦を、ワーレン砦の司令官が指示したとは考えにくい。王女自身か、ミランダの発案で独自に行われた作戦だという見方が有力である。
 伏兵の戦力二百人に対し、王女達が捉えられた時にはミランダとソリティア、そして二人の従者の計五人が彼女たちの戦力だった。この戦力をひっくり返し、ミランダ達が勝利した要員の最もたるがソリティアの魔術である。テントや人が密集した空間、湿度の高い悪天候などの条件がぴたりと揃い、偶然にこの「ワーレン砦の地上雲」が起こり得たと言う論者も多い。しかし、偶然に頼り過ぎた作戦で王女を囮に使おうとはしないだろう。ソリティアはその天才的な才覚を発揮し、この頃にはすでに彼の理論をある程度完成させていたに違いない。魔力を局所的に飽和させ、その中で大規模な電撃の魔術を使うことで放電現象が持続する。魔力によって促進された金属腐食効果は電撃と共に空間に持続し、立ち入ったあらゆる鉄器をほぼ一瞬で綿化させる。当時、軍隊は主に鉄によって武装されていた。たった一人の魔術師による軍隊の無効化という、前代未聞の大魔術を彼はやってのけたのである。無論、金属は腐食し、ソリティアの身近にいた兵士は電撃に焼かれた。この時、ソリティアの魔術で無効化された兵士は四十、武器を腐食させ無力化した兵士は六十に登ったと言い伝えられる。この一撃でソリティアの体力は尽きた。しかし、動ける兵士がいなくなったわけではない。残りの兵士を相手取ったのは『宵の刃』ミランダ・ソーシエルその人であった。彼女の持つ鉄器も綿と化していた。しかし彼女は、その二つ名が表す武器、すなわち黒曜石の小刀を持っていたのだ。さらに、ワーレン砦の隠密行動部隊が雷鳴を合図に伏兵部隊を奇襲する。体勢を崩され、武器を失っていた伏兵部隊は、たかだか五十人にも満たない少数の兵士にまたたく間に敗北したのである。
 エスラディアの伏兵部隊を制したものん、残念ながらソリティアの消耗は激しく、異世界から召喚された兵器に同じ手を行えそうにはなかった。結局、ワーレン砦に常在するリオニア軍は南へと撤退することになる。この撤退の際にミランダ率いる傭兵部隊は、先に制した敵伏兵部隊の跡地、すなわち塹壕や森の隠し矢倉を利用して追撃部隊に対抗した。エスラディア軍は多大な損害を受ける。皮肉なことに、強力すぎる異世界の兵器はワーレン砦を破壊しすぎ、ほとんど瓦礫と言っていいものになってしまった。まったく収益が見合わない結果に責を問われたカクレガスは、後日更迭されることとなる。
 砦こそ失ったものの、ソリティアが生み出した魔術と石製武器を組合せた新たな戦術は、他方で話題となる。一躍時の人となったミランダだが、それが災いした。いままで誰も気にしなかったことだが、彼女が亡国ロード出身の貴族だという噂が流れたのだ。そこに尾ヒレハヒレがつき、ミランダは王族に取り入るために手引きして危機的状況を作っていたのではないかと囁かれるようになる。しばらくは辛抱したものの、リオニア国に居づらくなったミランダは結局、国を移ることを決意する。
 ウェルルシア国へと渡航した彼女は、海運会社で働き始める。この時のミランダは四十二歳。最盛期に比べ腕っ節は衰えていたが、数々の戦場や斥候としての経験から戦術の面では成熟しつつある頃だった。培った戦術勘は海上戦でも遺憾なく発揮される。海運会社であるにもかかわらず、ミランダを頂点においた護衛艦隊部門が設立された事実が、彼女の非凡さを表している。歩兵、騎兵、魔術兵、海兵の運用に通じた彼女には、ウェルルシア国の軍事顧問の話が来たこともあった。
「私には酔狂の血が流れておりまして、軍に入れば部下に迷惑をかけてしまいます」
 と言って彼女は断ったそうだ。
 四十五歳になり彼女は結婚する。相手は同社の船乗りであるポーワーという男だ。晩婚だったが、翌年に長男を、その翌年に次男を生む。出産をきっかけに彼女は退社した。この頃にミランダからリオニア王女チャイに宛てられた手紙の中で、ケーキの焼き方を尋ねる文が見られる。数度のやりとりの後、この才女は自分に菓子作りの才能がないことを発見した。この後、彼女が歴史に姿を表すことはないが、まさか家事を諦めて戦場に戻ったということはあるまい。


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夜と砦とうどんと山田スピンアウト作品
この作品中の舞台、登場人物、世界観などあらゆる設定は「テルミア・ストーリーズ+」企画におけるフリーの【シェア・マイ設定】と同じように扱って結構です。




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