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金星の一日

 M&Y星間運輸社で働くミレイユの朝は遅い。十時ごろにもそもそと事務所に出社し、プライベートアドレスと会社のオフィシャルなアドレスメールをチェックする。ミレイユ個人宛のメールには広告メールなどばかりだったし、会社への新しく入った注文もないようだ。文通相手から、メールの返信がまだなかったのは少し残念だった。
 あくびを噛み殺しながら、コーヒーを入れる。豆挽きは奮発して買った(といっても経費で落とした)、アンティーク物の代物で、ミレイユのお気に入りだ。今日は少し酸味のあるコーヒーが飲みたい。マウンテンシフとよばれる、金星のブランドコーヒー豆がまだ残っていたはずだ。豆の違いがわかる副社長は、あまりこの豆の香りが好きではないらしい。社長はインスタントコーヒーしか飲まないし、もう一人の従業員はコーヒーが飲めなかった。
 この会社の従業員は社長、副社長、ミレイユ、下っ端の四人。そしていまミレイユ以外の三人は、運輸のために宇宙船にのって木星へと旅立っている。星間旅行なので一回の航海は数カ月に渡る。一年のほとんどの期間、金星のオフィスにいるのはミレイユ一人だけでいることになる。小さい会社故に、扱う仕事の規模も余り大きくはない。事務職と言っても大した仕事はなく、大抵暇だった。弱小企業を狙った詐欺師のような奴らが、会社のサーバーに攻撃を仕掛けてくることもあったが、彼女が構築した防衛壁が突破されたことはまだ数えるほどしかない。
 暇つぶしに右隣のオフィスに出向く。詳しくは知らないが、医療関係のサービスを行っている会社だ。ミレイユと同じように、暇を持て余している従業員たちが二人いて、一緒にポーカーをやって午前を潰した。たわいもない話から「宇宙人はいるか」という話題がのぼった。
「戦時中、木星の軍人がのった戦闘機のレーダーが壊れて漂流するっていうことがあったんだよ。あ、俺は二枚チェンジ。で、五年くらいたって戦争が終わった後に、その軍人が乗っていた戦闘機が見つかったんだ。ほい、俺はスリーカード。なんと戦闘機の中にその軍人は生きていて、しかも二週間しか経っていないと彼は思い込んでいたらしい。おいおい、ミレイユさんフラッシュかよ! 負けた! で、彼曰く、所属不明の通信が入って、木星基地に戻る方法を教えてもらったんだとさ。彼ののった戦闘機のログを解析してみると、彼はどうやら天王星付近まで行っていたらしい。じゃ、カードくばるよ。戦闘機が木星から土星を超えて天王星まで行くなんて無理にきまっているし、木星よりも外の惑星に人は住んでいない。不思議だよなあ。ああ俺はチェンジなし」
 人間の住む金星、地球、月、火星、木星のうち、この金星が一番外宇宙に遠い。宇宙人なんていうロマンに遠いよねという話になって、ポーカーにも区切りがついた。
 オフィスに戻り再びメールをチェックする。オフィシャルアドレスに仕事のオファーがなかったが、ミレイユの受信ボックスに広告メールに混じって、木目金という名前からの受信があった。文通相手からの返信だ。
 相手のアドレスは文字化けしていて、名前も@の後ろのドメインもめちゃくちゃだ。しかし返信をすれば、たしかに相手に届いているらしい。ミレイユは防衛大学の情報通信学部を第三席で卒業しているが、文通相手がどのようにこのアドレスを解決しているのか全く判らない。彼を凄腕のサイバーテクニックとして尊敬しているし、「私は宇宙人だ」という主張も信じている。それにミレイユのつくったサーバーの防衛壁を突破した唯一の存在であり、いつか追いついてみるぞという気持ちもあったりする。
 こういう怪しげな人間と文通していると知られれば、社長は嫌な顔をするだろうな。まあどうせ、彼らはめったに帰ってこないし大丈夫だろう。


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